
Blue Pearl :with respect and gratitude to Kosho Ito
堀江ゆうこ写真展に寄せて
「〝命の襞〟ブルーパールの新たな生」
四方幸子
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人生を変えてしまう出会いというものがある。堀江ゆうこにとってそれは、《Blue Pearl(ブルーパール)》という作品だった。作者は伊藤公象。陶をメディウムに半世紀以上たえまない探究を続け、昨年92歳で逝去したアーティストである。
本展が開催され、私がこの原稿を書いているのは、まさしく堀江がこの作品と出会ったことによる。しかも堀江が写真家となったのは、《Blue Pearl》を撮りたいという強い衝動に駆られたからという。その思いを伊藤に伝え同意を得て《Blue Pearl》50個を購入、しかし当時カメラさえ持っていなかったという。
通常の手順を大きく逸脱したこの展開は、ひとえに堀江がブルーパールに魅せられたからだろう。いやむしろ《Blue Pearl》が彼女を見初めたのかもしれない。《Blue Pearl》は堀江を旅に誘い、堀江は《Blue Pearl》と共に各地に赴き、自然の中にそれらを配置し10年以上にわたり撮影を重ねた。《Blue Pearl》が堀江を選び、堀江はそれを喜んで受け入れたのだ。
その青色、襞状に織り込まれた形状、見る角度でさまざまな表情があり、周囲の光を受けてたえず変化し続ける。堀江が魅せられた《Blue Pearl》は、実際えもいわれぬ魅力を放っている。伊藤の手のひらから瞬時に生み出された形態は、一つひとつが異なる襞を形成し、光沢とともになんともなまめかしい。陶ではあるが、モノというより光を含めさまざまな波動を受けてたゆたう、むしろ現象的な存在である。色味も形状もそれぞれ異なる単体は、場所に応じて寄り添うかのように円形や流れるような不定形の群を形成する。襞が集まり全体でより複雑な襞を形成する様子は、自然にしばしば見られるフラクタル(自己相似形)構造を想起させる。そのためとりわけ屋外では、周囲の自然となだらかな関係を結びながら変容する現象性が際立つことになる。
《Blue Pearl》自体がそもそも、伊藤の意思が生み出したというより、伊藤がさまざまな波動を受け入れ身体化するなかで、それぞれ異なる形をおのずから形成したというべきか。活動初期から伊藤は、作品が発するエロスそして襞の持つ触覚性を重視してきた。作品はいわばエネルギーの凝縮体であり、触覚的な波動を放ちながら周囲と呼応することで存在する。単体もしくは群として環境とともに発されるエネルギー、それに感応する私たち……伊藤が「エロス」と呼んだものは、これら動的な関係性において立ち上がるものではなかったか。それはまた、地中から天空までを含む森羅万象と関係しているはずである。そしてそれは、人間や非人間それぞれが知覚可能なものに限らず、知覚の枠外にも至るだろう。
《Blue Pearl》は屋外で、変動する光や波動を受け止め反射し続ける襞であり現象でもある。ライプニッツやドゥルーズを参照するまでもなく、それは複雑に織り込まれた構造によって、さまざまなものを許容し吸収し、渦巻のような現象を生起させていく。
「私たち人間も動物や草木も同様に〝命の襞〟の海の中で生きているのではないか」。堀江は、伊藤の言葉〝命の襞〟を胸に撮影をするという。《Blue Pearl》を起点に森羅万象が繋がっていく中、その一期一会の豊穣の一部でありながら撮影者でもあるという境界領域の只中から、堀江は、シャッターを、切る。
伊藤が生み出した〝命の襞〟《Blue Pearl》は、堀江の写真を介して新たな生を開示された。
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◉ 四方幸子[Yukiko Shikata]
キュレーター/批評家。十和田市現代美術館館長、美術評論家連盟会長、「対話と創造の森」アーティスティックディレクター。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、武蔵野美術大学・情報科学芸術大学院大学(IAMAS)・京都芸術大学非常勤講師。「情報フロー」というアプローチから諸領域を横断する活動を展開。1990年代よりキヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC](2004-10)と並行し、インディペンデントで先進的な展覧会やプロジェクトを多く実現。国内外の審査員を歴任。著書に『エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論』(2023年)。共著多数。
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