露口啓二「移住」展に寄せて
「移住─現在そして未来を生き抜くために」
四方幸子

露口啓二「移住」展に寄せて 「移住─現在そして未来を生き抜くために」 四方幸子[本展キュレーター] ーーーーーーーーーーーーーーーーー  空では渡り鳥が、季節に応じて北と南の遠距離を回遊し続けている。梅雨に活性化する粘菌や微生物は、環境に応じてコロニーの形成や離散を繰り返している。地球上のあらゆるものは—生物も無生物も含め—太陽など宇宙から、そして地殻変動など内部からの影響を受けながら常に移動し、互いに作用し合ってきた。人類も誕生以降、自然の一部もしくは自然に寄り添う存在として、移動と定住を繰り返しながら生きてきた。そのような中、現生人類だけが、技術や抽象思考を発達させ自然を対象化し境界を策定し、それらを維持するための情報操作を行ってきた。  大地、水、森、鉱物そして動植物(これらはいずれも「情報」とも言える)…人間の歴史は、あらゆるものを資源として囲い込みドメスティケートする歴史であり、そこには、支配者側が人間と見なさない人間も含まれていた。人間による人間の支配は古代から存在していたものの、とりわけ西洋近代以降、産業化とともに発展した資本主義によって、国家を前提とした大規模かつシステマティックなものへと展開した。  日本においては、明治時代以降に東京を中心として国家の発展と産業振興を旗印に近代化が推進されたが、[1]中でも核となったのが、新たに「北海道」と名づけられた旧蝦夷地の防衛と開拓である。政府の政策により国内各地から故郷を離れて入植した人々は、厳しい自然の中で生き、強制移住を余儀なくされたアイヌの人々は病気や死亡に瀕し、農業実習のため東京へ送られる者もいた。  「移住」は様々な目的でなされるものであるが、露口が本展「移住」で扱っているのは、近代化の中で政府の意向で北海道へ移住した人々に寄り添った寡黙な歴史と移住前後の土地の現在である。写真は、以下の要素で構成される。皇居。明治時代に開拓使が置かれた東京の芝公園、渋谷などと開拓本府があった札幌の中心部。栃木県の足尾銅山跡や鉱毒汚染に見舞われた下流の旧・谷中村(現:渡良瀬遊水地)とこの地域から集団で入植した北海道佐呂間町。そして2011年3月11日の東日本大震災で高濃度の放射線汚染被害を受けた福島の地域。いずれも複数の写真を並置した展示となっている。  露口によって慎重に掬い上げられた写真は、整然とした佇まいの皇居以外は、通常人が目を向けないような都市風景や荒れ果てた家屋などを含む地方や自然の風景である。各写真は一点で何かを表象するのではなく、むしろ複数性において、写真の間(はざま)に湧き起こるざわめきの中から見る側に語り始めることだろう。  露口は、同じ集団が住んだ二つの地—慣れ親しんだ故郷と故郷とすべく乗り込んだ新たな地[2] —の現在に入り込み、それらを並置する。入植者は新たな土地でも故郷の文化や伝統を維持し、地名もしばしば故郷にちなんでつけられた。離れても消えない故郷や先祖への思い、そこに上書きされていく入植地での経験や記憶…世代を隔て21世紀となった現在における状況が、露口を通じて露わになる。近代化はまた、資源採掘とエネルギー確保のための移民を多く生み出した。本展では、鉱毒汚染による移住、開拓地での炭鉱や戦後の原子力発電所などでの労働のための移民、そして引き起こされた事故や汚染による避難のための移住までもが扱われている。  露口は当事者ではない。しかし当事者たちが生きていた地を何度も訪れ、場の痕跡や記憶に丹念に向き合いながら[3] 一種のフィルターに徹することで生み出された渾身の写真…

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